#神戸酒心館 の #桜は8分咲きといった感じです。やっぱりほっこりしますね。森山直太朗の歌を口ずさみながら自転車漕いでます。
あ、おはようございます。
今日もステキな1日を。花見日和ですね^_^ pic.twitter.com/PRNvNiFB4g— 布施徹【と〜る店長】神戸の山登りのお店 (@gachi1127) 2019年4月5日
神戸酒心館の桜は8分先くらい。とってもきれい。日本人で良かったーーってしみじみ思ってしまいます。そしてこの神戸酒心館は創業から300年近く、十三代にわたり丁寧な酒造りをしているそうです。最寄駅は阪神石屋川。
僕は日本酒はあまり飲めないんだけど好きな方はぜひね。桜とお酒いいですね。。
こんにちは。とーるです!
【さかのぼること、1か月前・・・。】
そんな感じでオススメされた新田次郎氏の「孤高の人」
先日、読み終えて、、結論、最高です!個人的にかなりオススメの1冊となりました。
家族愛の深さが真冬の北鎌尾根で際立つ、
実在の人物、加藤文太郎の愛の物語
最後の100ページはそれまで単独行(一人で山へ行く)を貫いてきた加藤文太郎にとって、宮村健との初めてのパーティー登山。厳冬期の北鎌尾根。
その最後の場面へと向かうまでの900ページは、加藤文太郎の10年間?を綴り続ける。
この900ページによって加藤文太郎に感情移入することになります。
加藤文太郎の造船技師としての仕事のこと、コミュニケーション下手だった彼の数少ない友人のこと。そしてヒマラヤを目指しコツコツと貯金をしながら、とにかく山に明け暮れる日々。
そんな中で恋愛。彼をしたう後輩との出会い。
花子との結婚。娘ができて家族となった喜び。
家族が出来て今までのようにハードな山行はもうできないかもしれないな。スタイルを変えていかないとな。。と思っていた矢先の宮村健からの厳冬期の北鎌尾根へのザイルパートナーへの誘い。宮村健もかなわぬ恋愛を抱え、落ちていた時にこれを気に山をやめる。そう決心した山だったけど、家族をもった加藤文太郎はリスクの雪山登山に乗り気にはなれない。でも自分が行かなければ宮村健は死ぬ可能性もあると感じ、暗い影を帯びたまま真冬の北鎌尾根へと向かう。
家にまだ結婚したばかりの妻と娘を残して。。。
フィクションだと思えば、よくできた悲しすぎる感動のストーリーだと思うんだけど、この小説のほとんどが新田次郎氏が加藤文太郎の上司や妻の花子の話をもとに忠実に書かれているようです。あまりにもツライ結末に涙が止まらなくなります。
もう行かないでーーー!って叫びたくなります。なんとも切ない・・・。
とにかく読んでほしい一冊です^_^
ちなみにwikipediaで加藤文太郎を調べてみたのでここに載せておきますね。
兵庫県美方郡新温泉町出身。兵庫県立工業学校夜間部卒業。
複数の同行者が協力し、パーティーを作って登るのが常識とされる山岳界の常識を覆し、単独行によって数々の登攀記録を残した。
略歴
1905年(明治38年)3月11日、兵庫県美方郡浜坂町(現在の新温泉町)浜坂にて、加藤岩太郎・よねの四男として生を受ける。
1919年(大正8年)に浜坂尋常高等小学校高等科卒業後は郷里を出て神戸の三菱内燃機製作所(三菱重工業の前身)に勤務し、兵庫県立工業学校夜間部を卒業する。1923年(大正12年)頃から本格的に登山を始める。
当時の彼の住まいは須磨にあったため、六甲山が歩いて登れる位置にあった。現在ではポピュラーとなった、六甲全山縦走を始めたのが、加藤文太郎である。非常に歩くスピードが速かった文太郎は、早朝に須磨を出て六甲全山を縦走し、宝塚に下山した後、その日のうちに、また歩いて須磨まで帰って来たという。距離は約100kmに及ぶ。
当時の登山は、戦後にブームになった大衆的な登山とは異なり、装備や山行自体に多額の投資が必要であり、猟師などの山岳ガイドを雇って行く、高級なスポーツとされていた。その中で、加藤文太郎は、ありあわせの服装をし、高価な登山靴も持たなかったため、地下足袋を履いて山に登る異色の存在であった。単独行であることと、地下足袋を履いていることが、彼のトレードマークとなった。
1928年(昭和3年)ごろから専ら単独行で日本アルプスの数々の峰に積雪期の単独登頂を果たし、なかでも槍ヶ岳冬季単独登頂や、富山県から長野県への北アルプスの単独での縦走によって、「単独登擧の加藤」、「不死身の加藤」として一躍有名となる。1935年(昭和10年)、同じ浜坂出身の下雅意花子と結婚。
1936年(昭和11年)1月、数年来のパートナーであった吉田富久と共に槍ヶ岳北鎌尾根に挑むが猛吹雪に遭い天上沢で30歳の生涯を閉じる。当時の新聞は彼の死を「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じた。
Wikipediaより
加藤文太郎も歩いた六甲山系
僕らが普段から歩いている六甲山系。そして神戸の街。この地で加藤文太郎も何度も山へ通い、神戸の街にいたと思うと感慨深いものがあります。
今では神戸市が主催している六甲全山縦走大会。この六甲縦走を始めたのが加藤文太郎。驚異的な健脚だったようです。
加藤文太郎になぞらえて、乾し小魚を行動食に・・・。息子も気に入ってくれたよう(笑)
加藤文太郎が歩いた六甲山。想いをはせながらまた歩きに行きたいものです。。。
孤高の人の他にもオススメの山の書籍は色々です。こちらの記事もよろしければ。